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≪日常≫面倒くさがりな性格と向き合っていく②

日常

↑の前回の続きとなります。

まずは先生の所見

 

先生「鬱でも発達障害でもなく、面倒くさがりな性格という素の性格が表れているようですね」

 

!?

 

まず、発達障害かどうかの説明。

知能検査の結果から見ると、平均よりも高めの結果が出ている。

言語関係が他の比べて低いものの、それでも平均レベルにはある。

極端に他の分野と比べて差がある場合は発達障害の可能性もあるが、極端というレベルでは無い。

また、幼少期の話を聞くと『ランドセルを学校へ持っていくのを忘れる』『上履きのまま帰宅してしまった』『遅刻癖があった』『授業に集中できず、遊んでしまう』などという事も無かった。

ただし、『忘れっぽい』『時間にルーズ』などの経験はあるので、普通の人よりかは注意欠陥多動性障害(ADHD)寄りかもしれない。

(普通の人とは果たして何か?という問題は長くなるのでここでは省きます)

ただ、日常生活に支障がでるレベルでは無いので、ADHDという診断とまでは行かない。

 

 

また、鬱病かどうかと言う事に関しては、誰かと一緒にいると問題なくこなす事が出来ることから、鬱病では無いだろうとの事。

基本は一人だけど、一カ月に1、2日親が遊びに来たり、彼女と4日間くらい過ごす時間がある。

誰かが一緒にいる時は、買い物に出かけたり、遠くへ出かける事もある。ご飯も一緒に作ったり、寝つきもすごく早い。

特に彼女といる時は皿洗い、掃除、洗濯など普段は面倒くさがっている事でも普通にこなす事が出来る。むしろ積極的にこなす事が出来る。

鬱状態にある人は、他者の介入があっても普段と状態と変わることは無いそう。

 

そうなると、独立して自由になったことで元々の性格傾向が顕著に表れているんじゃないかということだ。

 

まぁこれは予想はしていた。

探しても出てこないからリンクは無いけど、昔まとめサイトでこんなものを見たことがある。

スレタイ:鬱病かと思って病院行ったら結果www

1:名無しさん
医者「ただの怠けだね」
ワイこの先どうして生きればええんや…

なので、自分もこの可能性あるだろうなぁ、とは思っていた。

でも、ショックだよね。

鬱病なら薬を飲めば症状が良くなるかもしれない。

ただ、自分の場合は根本の性格なのですぐにはどうしようもない。

長い目で見て、社会に適合できるような性格に矯正していくしかないというわけだ。

幸い仕事はあるので、贅沢はできる程ではないが、一人で生活する分には困っていないのが不幸中の幸いだろうか。

とりあえず住む家と、食べ物を買う金があるので身体的には生きていけるだろう。

 

 

双極性障害

2,3年前に話題になっていたような気がする"双極性障害"

躁鬱病なんて言われたりする。

どんよりとした鬱病の症状のだけではなく、妙にハイテンションになったり活発的になったりするので診断が難しいらしい。

自分も昔色々と調べてみたことがあるが、基準がハッキリしていないので、症例を見ると見方によっては自分は双極性障害なのではないかと思ってしまう。

しかし、それは大多数の人も同じように当て嵌るのではないかと思う。

極端な例かもしれないけど、例えば『仕事をするのが苦痛に感じる』という問いに対して、『そう思うと』答える人は多いのではないだろうか。

もちろん、好きな事を仕事にしていたり、仕事にやりがいを感じる人もいるだろうが、少数派だろう。

また、世代による差もあるだろう。50代~60代の世代の人だと仕事が生きがいになっている人も多いんではないだろうか。現に自分の父親は仕事するのが楽しいしやりがいがあると言っている。

しかし、自分の世代(20代)では仕事よりプライベートを優先にする傾向が多く、仕事をするのが苦痛に感じると答える人が多いと思う。

そうなると若い世代の躁鬱病の確率は二人に一人、三人に一人というとても多いレベルになってしまうのではないだろうか。

 

自分としては病気と性格の違いと言うのは曖昧であると思っている。

躁鬱病なんて物はとりあえず病名を付けて、病気と言う事にし治療をしお金を儲ける。

自分の考えが古いのかもしれないが、極論言えばこんな感じだと思っている。

だれでも金を稼ぐためだけのやりたくない仕事を続ければ、嫌になるしストレス溜まる。

それでみんなメンタルやられて病気扱いにするというのもおかしな話ではないかと思う。

それよりかは、働くというストレスの壁に耐えられる教育を幼少期からやっていくか、ブラック企業を潰して、退職代行やもっと転職しやすい環境づくりをして、働くというストレスを減らしていく方向に進んだらいいのになと思っている。

ゆとり教育で若者の多様性は広がったが、その多様性を生かせる社会の完成が遅れていてあぶれてしまう人がいるんではないだろうか。

 

 

話が逸れてしまったので、ここからは先生からの解説の続きを載せていく。

 

面倒くさがりな性格傾向

 

分かりやすくグラフにしてみるとこんな感じ。

少年期は『宿題やるのが面倒くさい』『毎日朝起きて学校に行くのが面倒くさい』

このように面倒くさいことがあったとしても、親や先生からの「宿題はきちんとやりなさい」という強制力があり、やってこれた。

働き始めてからも、『働きたくない』という気持ちはあったものの、仕事をサボったらクビになるし、生きていくためには金が必要。

社長が厳しい人だったので、怒られるのが怖かった。

前の職場で働いているときはそういう強制力があり仕事を続けられた。

 

しかし、限界が来て仕事をやめた。

そして、独立してからは今まで支えとなっていた存在が居なくなった。

朝だっていつ起きたっていいし、夜もいつ寝たっていい。

ご飯も休憩時間が決まっている訳では無いので、いつ食べてもいいし、食べなくてもいい。

時間はたくさんあるので、好きな時間に買い物にいけるし、急いで帰る必要もない。

誰も自分を咎める事が無いので、自堕落になってしまった。

 

ただ、それでもやらなくてはいけないことは必ず出てくる。

その大きな物として一つが仕事。

明確に期限が決まっている仕事なんかは、その"期限"が支えとなっているし、

“仕事はある程度やらないと収入が無い"という強制力も働いていると思う。

また、生き物を扱う仕事なので、"世話をしなければ死んでしまう"。

この支えは大きな強制力があり、現在なんだかんだ仕事をやっているのはこの強制力のおかげだと思う。

これが興味のない"物"を扱う仕事だった場合、どこかで崩れて今頃ニートになっていたか野たれ死んでいたかもしれない。

そう思うと、色々あったが今の仕事を独立して一人でもやっていけていることは運が良かったと思う。

 

ただ、現在守れている期限は結構ギリギリになっているし、逆に期限の決まっていない仕事なんかはどんどん後回しになってしまっているのが現状。

“世話をしなければ死んでしまう"という強制力は大きいので崩壊することは無いと思うが、提出期限なんていう弱い強制力は、そのうち効果が無くなってしまうのではないかと心配になっている。

 

料理を作るのが面倒くさくなった。

これに関しては、お腹が空いたという強制力でいままでやってこれたのが、『お腹が空いてきた』という強制力が機能しなくなり、『限界までお腹が空いた』という次の段階の強制力に支えられている状況。

『限界までお腹が空いた』も時々機能しない事があり、『体調が壊れてきているから早くご飯を食べて修復する必要がある』という強制力が時々でてくる状態。

これに関しては早くどうにかしないといけないと思う。

直近の問題だろう。

 

 

失敗した自分を責める性格傾向

もう一つ先生から言われたのが、『失敗を悔んで、自分を責める傾向がある』ということ。

これは昔から自分の性格として実感してるし、人からも良く言われる。

「失敗してしまったのは仕方が無いし、次頑張ればいい。気に病む必要は無い」なんて言葉をかけてもらうこともあるが、自分が失敗して迷惑をかけた事は事実だし、申し訳ない気持ちは拭えない。

 

最近の失敗①

最近の話だと、郵便物を出そうとしたが封筒が切れていたので、買い物先で封筒を買ってそのまま投函してこようと思った。

封筒の封をするための糊が必要だと思い、糊と封筒の中身、宛先を書くボールペンを持って買い物に行った。

封筒を購入して、宛先と自分の住所を書き、中身を入れて封をし、ポストに投函に行った。

ポストの前で最終確認をし、あるものを忘れているのに気付いた。

“切手"を貼ってないのである。

家を出る時は、「糊忘れてたら封できないかもしれないし、ボールペンもあるから宛先書ける!バッチリ」と思ってちゃんと確認できたつもりだった。

それが投函直前に、切手の存在を忘れていたことに気づき、「あぁ…確認したはずがまたやってしまった…」と、とてもガッカリした。

切手を取りに家に帰る途中は、大分気分が落ち込んだよね…

 

最近の失敗②

別の細かい話で言うと、スマホををどこに置いたか忘れて行方不明になる事がある。

そういう時も、「なんでいつもこうなんだろうなぁ…クソッ!クソッ!」と落ち込んでしまう。

 

最近の失敗③

大きな話としては、新幹線に乗って出かける用事があったんだけど、まず家を出る時間に遅れてしまった。

車を運転している時に「せっかく、今度こそ余裕を持って家を出ようと思ったが守れなかった」と落ち込み、どんよりした状態で運転していた。

するとぼーっとしていて駐車場に入る道を過ぎてしまう。でも、裏からも入れたかなと思って裏へ回る。
しかし、車で入ることはできず、そのまま道なりにバイパスに乗ってしまい、Uターンして戻ってくるまで時間がかかる。

ここでも「なんでこんなミスをしてしまうんだろうなぁ」と落ち込む。

さらに駅から鈍行で新幹線の駅まで向かう。予定の時間より遅れてしまったが、まだ走ればギリギリ新幹線の時間には間に合いそう。

しかし、人身事故の影響で遅れが出ているという事で、結局新幹線の時間に間に合わなかった。

ここでもかなーり落ち込む。

それと同時に乗り遅れたらどうすればいいんだろうか?また切符を買い直さなければいけないのだろうか?今から買い直しても今日の分は手に入るのだろうか?

新幹線なんて久しく乗っていないので、分からず焦る。

改札まで戻り、駅員さんに聞くと「乗車券はあるので次の○○〇という車両の自由席に乗れば大丈夫。」 との事。

安心してトイレに行ったり、飲み物を飲んだりしてホームに戻ると新幹線が既に来ている。

そして、駅員さんに聞いた○○〇〇という新幹線の名前を忘れてしまっていた。

でも次の電車って言ってたし、四文字だった気がするからこの新幹線に違いないということで、自由席を探すが、なかなか見当たらない。

そうしているうちに電車が発車しそうなので、乗り込んで中で先頭方面に移動しながら探すことにした。

しかし、先頭まで来ても全部 ”指定席” の文字。

車掌さんが来たので、確認すると「この車両は全部指定席。次の駅で降りて、この新幹線の後に来る新幹線○○〇〇の自由席に乗れば大丈夫」とのこと。

どうやら改札の駅員さんは、"次に到着する自由席"の新幹線○〇○〇に乗ればいいと説明したんだろう。

それを自分は"次に来る新幹線"○○〇〇に乗ればいいと思ってしまっていたみたい。

トイレ行っただけでほぼ忘れたけど、電光掲示板を見るとちょうど4文字の新幹線が来ていて、さっき聞いた名前の様な気がしてきた。

乗車口の表示は指定席だが、どこかに自由席があり底の乗り込み口には自由席と書いてあるんだろうなと思っていた。

新幹線の四文字くらいの名称なら覚えていられるだろうと思ったのがダメでしたね。

あぁ…またミスってしまった、とデッキで半泣きになるくらい落ち込みましたよね。

その後は無事自由席の新幹線に乗る事が出来たけど、この一連の出来事は当時相当落ち込んだのは覚えています。

 

 

そんな感じで『面倒くさがり』『失敗した自分を責める』という大きく二つの性格傾向があるのではないかと、指摘されました。

思い当たる節が多々あるので、合っているんだと思います。

そして、現在の『やる気が出ない』『時間が守れなくなった』などというのは、

今までは面倒な事でも、他人からの強制力でなんとかやっていた。

しかし、独立して一人になったことで、その強制力が弱まる。
そして、面倒くさいという気持ちが強くなってしまった。

それにより今まで出来ていたことが、できない・失敗してしまう場合がある。

そうなると、「昔は出来たのに…なんでこんな簡単な事も出来ないんだ…」と、できなかったり失敗してしまう自分を責めてしまい、落ち込んだ気分になってしまう。

そのどんよりと落ち込んだ気持ちに気を取られ、また失敗をしてしまう。

 

こんな感じで強制力がないと行動はダレて来る、落ち込んでどんよりした気持ちも負の循環をしてしまう。

今はそういう状態だから、やる気が出なかったり、気分が優れないんじゃないかと先生は言う。

 

 

これからどうしていけばいいか

さて、原因が分かったから解決する為にどうすればいいのか。

 

強制力を頼る

まずは、面倒くさがりの性格に対する解決法

面倒くさがりは根本の性格なので、変えようと思ってもそう簡単に変えられるものではない。

なので、今までの様に"強制力"に頼るのが手っ取り早いとの事。

 

例えばタスク管理アプリを使って、期限を頭の中では無く、数字としてもっと見やすくする。

庭に定期的に除草剤を撒かなくてはいけない場合。

雑草が伸びてきたらやろうかなと思っていると、まだこれくらいなら大丈夫。今週は忙しいから来週にしようとか。期限を明確にしてないとズルズルと伸びてしまう。

これを除草剤を撒いた後2週間後とか設定し、『期限まであと5日』など視覚的に表示されれば焦りも生まれてくるし、スケジュール管理もしやすくなる。

 

あとは、今までの通り『人からの強制力』を受ける。

「〇日までにやらなければいけない用事がある」とあらかじめ家族や彼女に伝えておき、その日が近づいたら「ちゃんとアレやったか?」などと指摘してもらう。

もし忘れていたり、先延ばしにしてやっていなかった場合は2回目の「アレやったか?」がまた来るかもしれないというプレッシャーや、2回目の「アレやったか?」を言わせる労力をかけさせるのは申し訳ないという気持ちで、その用事を一度目の指摘の後にこなす事が出来るかもしれない。

 

強制力と言えば、子供の頃に『あと何秒以内にトイレから出ないと爆発する』『風呂に毒ガスが流れているから〇分経つまでは湯船から出たら死んでしまう』こんな妄想をしてたことがある。

思い返せばこうやって強制力を作り出して生きてきたんだなと思う。

 

しかし、こうやって言われれば納得できるが、できるかはどうか分からない。

タスク管理アプリは使ってみようかなぁという段階まで行ったが、面倒くさくてインストールする所まではいかなかったし、他人を直接頼るのは迷惑をかけてしまうという気持ちが出てしまう。

 

 

とりあえず全部の物事に対してやる気を出すのは、頑張りすぎて疲れてしまうので、精神科を受診しようと思ったヤバイ出来事『ご飯を作る気が起きない』の対策を考えてみる。

これに関しては良さそうな案がパッと出てきた。というか、昔からやろうかなと思っていたこと。

ブログに作ったご飯を載せていく というのはどうだろうか。

今までゲームのモチベ維持にブログを更新してゲーム自体のやる気が上がった事があるので、これならいけそうな気がする。

やはりこの『ブログ』というのは結構自分に相性が良いです。

身内など近すぎる人には逆に言いづらい事を、ブログなら何処かの知らない誰かなのでさらけ出す事が出来る。

ネット弁慶なので、ブログのほうが色々と気楽である。

これに関してはまた別ブログを立てる予定で準備中です。

 

 

今落ち込んでいるな…と言う事に気づく

二つ目の、自分を責めやすい性格に対する対処法

これに関しては、外部からどうこう言われても根っからの性格なので、変えるのが難しい。

面倒くさがりよりも変えるのが大変だろうとの事。

「そんなに自分を責めないで」と、他人から言われても「そんなこと言われても悪いのは自分だし…」と、自分を責めてしまう性格の人は、外部からの刺激じゃどうしようもないことが多い。

というか、外部から言われて「そうだな!責めてもしょうがないな!」と思えるような人は、自分を責める性格ではないしね。

なら、どうすればいいかというと、先生は次のように言った。

「今失敗して落ち込んでいるな、と自分の状態に気づく事」

図にするとこんな感じ。

何かを失敗して落ち込んでどんよりとした気分になっている時に、"落ち込んでいる状態である事"に気づくと、ストンとそこに向かって下がっている落ち込んでいる気持ちの進みが弱まったり、止まったりするとの事。

かと言って、落ち込んでいる状態に気づいた時に、「落ち込んでいる場合じゃない」とまでは思わなくては良いとの事。

まずは落ち込んでいる状態に気づくことが大切だという。

そうやって、落ち込んでいる状態に気づくと、初めは落ち込んでいる気分の進行が弱まっているだけだったのが、回復してきたりする。

さらに、落ち込みに気づくのが早くなれば、落ち込んでしまってもすぐに前の状態に戻るようになるという。

 

これに関してはなるべく試してみるが、まだ目に見えて効果は出ていない。

すぐに結果は出ないという事で、これからも長期的に試していこうと思う。

 

 

そして最後に…

この先の人生死ぬまでという長い期間での強制力とは何か…?

それはやはり妻や子供という存在になっていくんだろうと思う。

妻や子供の為なら頑張ろう。そう思う人は多いのではないだろうか。

また、長所と欠点をお互いフォローしあって生きていくのが、幸せなんだろう。

 

 

そこで先生に聞いてみた。

「これからの人生と言う長い道のりでの強制力に妻と言う存在はどうなのか」と。

 

すると先生は…

「面倒くさがりな人でも支え合って生きている人もいる。

逆にそういう人は世話焼きな人と相性がいい。少し抜けているくらいがちょうどいい。

実際に尻を叩かれながら生きている人は多い。

逆に、世話焼きな人と世話焼きな人がくっつくと、うまくいかないこともある。

性格と言うのは短所にもなるが、長所にもなる。」

 

この返事は心の霧がパーッと晴れるように、ホッとした気分になった。

 

ただ、結局自己分析をしても自分に対しては未だにマイナスな部分しか分かっていない。

人から言われた自分に対しての長所についても、それくらい誰でも出来ると思ってしまう節がある。

また、彼女に対して欠点や不満が見当たらないので、果たして自分に何ができるんだろうかと不安になってしまう。

自分がこういう性格だから迷惑をかけてしまうだろうな、という不安もまだ残っている。

果たして良い旦那になれるのだろうか…と。

今まで強制力のおかげでうまくやっていけたので、おそらく結婚して妻と言う強制力が働けばうまくいくのかもしれない。

ただ、仕事に関しては強制力が負けて辞めてしまったし、妻と言う強制力が負けてしまうのでは無いかと言うのも不安である。

これは前回話した”曖昧な事が嫌い”という性格が出ているのだろう。

この先の未来という曖昧なモノに対する不安が大きいのだろう。

 

 

なので、直近の目標だと『ご飯をしっかり食べるようにブログという強制力を頼る』と、『今落ち込んでいるな…と言う事に気づく』の2つをやってみることにする。

そして、中長期的な目標として、自分の欠点(面倒くさがり)を今よりかはマシな状態にし、自分の長所を知り、少しは自分に対して自信を持てるようにするというのがいいのだろう。

 

 

というわけでキリがいいので、自語りはここまでにしておきます。

思ったことを文字にしてみる事で、頭の中も整理が出来ました。

また自分の事で何か書きたくなったら、新しく立ち上げるブログにまとめていこうと思います。

 

 

 

ではでは~ノシ





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